阪神尼崎から北東へ徒歩7分、玉江橋沿いの西長洲のバス停の真東に「はかり資料館」という私設資料館があります。普通の民家の1階で作業場兼になってるところなのでマナーを守って見学してくださいね。オーナーの山下善吉さんが大変おもしろいお話とはかりの実演をしてくださいますので、ゆっくり時間のあるときに行きましょう。三平方の定理や、円周率も先人の知恵で経験的にわかっていたことが証明されるものさしもあります。歴史を生きた秤を見ながら、「耳学問」するのもいいですよ〜。理系離れの子供たちにも是非勧めたいと思いました。さらに学びたい人は計量計測データバンクのサイトもおすすめです。
現在では閉館され、松本市の山下喜吉はかり資料室に展示されています。本ページは資料としてお役立てください。
以下の説明文は「はかり資料館」パンフレットより引用したものです。その他度量衡に関する歴史的な貴重な資料をいただきました。ありがとうございました。文語で書かれていて内容的に難しいものですが、興味深い点をピックアップして皆様に紹介していく予定です。
秤のおこり
計量の歴史はまず、数と時間の計量に始まり、道具をつくるために長さの計量が、ついで農業とともに面積や体積の計量が始まります。重さの計算は都市国家が発達して経済に余裕ができ、金銀や宝石などに価値が認められるようになった紀元前8000年ごろに始められました。
重さの計量に使われた最初の道具は天秤です。天秤棒の両端に、同じ重さの荷物をかけて運ぶ作業は、ずいぶん昔から行われていたのでしょう。一本の棒を中心で吊り、両端に皿を紐でぶら下げてつりあわせて重さをはかる天秤が考え出されたのも容易だったと思われます。
天秤は神の秤
古代エジプトの『死者の書』の中には、”死者の裁判”の場面に天秤が描かれています。
死者は、墓地の守護神ヌビスに導かれて、女神マアトの真実の羽根とで天秤によって、比べられ、生前に不正を犯したかどうかをはかられます。
棹秤の発明
天秤は精度は高いのですが、分銅を多く使うため重く、持ち運びにも不便でした。ローマ時代にはシルクロードも通じ、交易が盛んになり、それに伴い発明されたのがローマ秤と呼ばれる棹秤でした。これはてこを応用した秤で、一本の棹と一個の錘で、ある一定の重さをはかることができるため、持ち運びに便利で、広く使われました。
中国でも、同じころ、棹秤が考えだされました。
中国の単位、日本の単位
唐の時代になると、重さの単位が変わり、両の十分の一の重さの銭が使われるようになりました。この銭は開元通宝とよばれる銭貨の重さを基準にしたものです。
日本では、この唐の制度をそのまま借用して重さの単位にしています。しかし、唐の官制の銖・両・斤のうち、銖・両は匁・貫に代わりました。
匁は一文銭の目方を基準にしており、貫は一文銭1000枚を紐で貫いてまとめた重さをいいます。
分銅
江戸時代、分銅の製作および取り締まりは、金座と同時に後藤家に任されていました。
後藤家は元来金工の家で、この後藤家がいつごろから分銅を扱うようになったかはわかりません。ただ、後藤家が統一的に扱うことを命じられたのはたぶん江戸時代初期のことと思われます。
後藤家は江戸のほか、京都と大阪に分銅改所を設置しており、たとえ目方が来るっていなくても、後藤の極印のない分銅は使うことができませんでした。そこで分銅はすべてここへ持って行って調べてもらい、極印代を払って使わなければなりませんでした。
これは、幕府が度量衡の制度の体系を整える政策として行ったものと思われます。

天秤と棹秤
天秤が公正さをはかる神聖な秤として扱われるのに対し、棹秤は低く見られてごまかしの道具のように扱われることも多かったようです。
これは、天秤が貴金属や宝石などの、比較的高価な分野に使われたのに対し、棹秤は食料品や日用品など庶民的なものをはかるのに使われていたことからきているようです。
また棹秤は構造的に重さをごまかしやすかったということも、その理由のひとつでした。例えば、紐をねじった状態で支えたり、小指で棹を押さえたりして、水平になったようにごまかします。
秤座
秤座の発生については、詳しいことはわかっていません。しかし、全国的に統制される以前には、各地方の権力者のもとや商人仲間の間で、秤の製作を行っていた集団が、座に発展したものと思われます。そして、これらを掌握し、権力を握るものとして、しばしば武士が任命されました。
江戸時代には、幕府が秤の統制のため、東西に秤座を設けました。東(江戸)は守随家、西は神家にその特権を与え、経済的支配の体制をうちたてました。
秤座は、秤の製作だけでなく、修理及び販売の事業をも独占していました。そして、つねに重さの基準を統制するため、定期的に”秤改”を実施していました。また、秤の価格も幕府によって定められ、構造の改良、工夫も許されなかったので、日本の秤の技術的進歩は明治時代を待たなければなりませんでした。
秤改
江戸時代の初め、どんな秤でも秤座の許可を受ければ使用が許されていました。許可のない秤は全て悪秤として、没収摘発されました。また、後年には、取締りが厳しくなり、秤座以外で製作された秤は偽秤として作ることはもとより使うだけでも死罪とされました。
そして、悪秤・偽秤を取り締まるだめに、秤改が行われるようになりました。江戸・京都では、定期的に行われましたが、地方ではひとつの場所が終われば次の場所へ移るといった方法で、国中を一巡するといったものでした。
秤改の一行は、各地に到着すると幕を張り巡らし、改所を設けると、そこに秤を持参させました。検査された秤のうち、目方を正しくはかれるものは「改極印」を打って渡し、修理・取替えの必要のあるものは預かり、改め終わった後、返されました。
秤改は、7,8年から20年に1回くらいの割合で行われましたが、悪いものは没収され、手数料・修理費などを払わなければならなかったので、貧しい農民にとっては苦しい制度であったと思われます。

<江戸時代の棹秤>
明治時代の秤事情
江戸幕府の重量の計測に対する政策は、前述したとおり保守的であったため、改良、工夫がいっさい許されなかったばかりでなく、商業以外の分野にほとんど配慮がされていなかったため、科学の発達に大きく影響しました。
しかし、幕府や各藩が洋式火兵や艦船、航海技術を導入するようになると、西洋の技術に関する知識が取り入れられるようになります。これとともに、西洋の秤も取り入れられるようになりました。
明治以後の秤
<棹秤>従来の棹秤は明治になってからも、江戸時代同様に使われました。これらの秤はほとんど型に変化がありませんでしたが、錘の形や材質、作り方には進歩が見られました。
明治時代には、金属製の新しい型の棹秤が登場します。棹を金属できちんと作り、ナイフエッジを使うとかなりの精度が得られます。そして増し錘を用いたり、棹を二重、三重にしたりして、細かい読み取りができるように工夫したものも作られるようになりました。
<上皿天秤>天秤も棹秤も、ぶら下がった皿に品物を乗せるようになっています。これではおおきなかさばるものをはかるのに不便です。皿をつるす紐が邪魔になりますし、皿が揺れて乗りにくいからです。皿がひっくり返ることもあります。
これらの問題を一挙に解決したのが”ロバーバルの機構”です。ロバーバルは17世紀のフランスの数学者です。彼は図のような仕組みを作りました。これは、左左右の腕に同じ重さの錘をかければ、どの位置にかけても(左右の支点からの距離が違っても)釣り合うのです。
この”ロバーバルの機構”をそのまま秤にしたのが上皿天秤です。
<上皿棹秤>”ロバーバルの機構”はいろいろやってみると、後の研究で平行四辺形の片方がなくえもすむことがわかりました。このことを利用して上皿棹秤が出現します。これは簡単な割に精度も高く、しかも、丈夫で安定しているので、長く使われてきました。
<台秤>”ロバーバルの機構”によって皿を上向きに支える秤ができましたが、基本になるてこはひとつでした。このために皿の大きさにも限度がありました。そこで、てこをふたつ以上組み合わせ、しかも、フォーク形に開いて、その上に広い秤台を乗せられるようにしたのが台秤です。
これは、1774年、イギリス人ジョン・ワイヤットの発明と言われています。
このワイヤットの発明によって、てこを何段にも組み合わせ、秤台の大きさをどんなにでも広げてできるようになりました。
<ばね秤>ばねの伸びが荷重に比例する原理を応用してできたのがばね秤です。これは、自動秤の最も基本的な型です。
ばね秤は使用が簡単で使いやすいため、行商人をはじめ、広く家庭にも普及しました。

<天秤秤>
明治の度量衡
明治維新によって秤座はなくなり、西洋技術の導入にともない、西洋の単位が取り入れられます。明治8年(1875)、政府は匁の重さをグラムを基準にして定め、西洋式の秤の製作、使用を認めました。この年にパリではメートル条約が結ばれます。
明治19年(1886)には、日本もこれに加入し、明治24年(1891)にはメートル原器、キログラム原器を中心にした度量衡法が制定されました。
このときはじめて1貫は3.75キログラムと決められ、1匁は3.75グラムと確定しましたが、これは従来よりもわずかに軽くなったようです。
しかし、単位はまだ尺貫法が主で、メートル法が認められているほか、ヤードポンド法も認めることとなったため、日本には三つの系統の単位が使われる状態になりました。
そこで大正10年(1921)、メートル法のみを認めることに改められましたが、これが完成するには昭和34年まで待たなければなりませんでした。
分銅と錘
平たく言うと、分銅とは、それに書かれている質量が実際の質量と同じであるものをいい、錘は書かれた質量と実量とが異なるものを言います。
<分銅>秤の釣り合いを得させる器具であって、その質量が表記された質量と等しいもの
<錘>秤に釣り合いを得させるための力点に働く力を増減し、あるいは力点の位置を移動させる器具であって、表記された質量と実量が異なるもの。または、それと組み合わされる秤との関係を表示したものであって、組み合わされるべき秤との間に互換性を認めるもの。
<定量錘>秤のてこ比が決まると、これにつける錘や増し錘(台秤の錘皿に重ねてのせるもの)の質量は決まる。そこで法規でてこ比を統一すると、互換性が得られる。この錘を定量錘、定量増し錘といい、相手がわかるように表示してある。

<上皿天秤>
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